今日、一日の区切りで生きる大切さ。うつ病を治すには必要な考え方!
ふと、自分が置かれている状況を考えた時、時に「あの人いいなー。」とか「何で自分はこんなんだろー・・・」とか思う事ってありませんか?
人生において、生まれてきた境遇に違いはあれど、誰もが皆、平等に持っているものがあります。
それは「時間」です。
今置かれている境遇に相違があれば、自由に使える時間もまた、それぞれに異なりますよね?
だからこそ、「限りある時間」を使って、「どの高み」を目指すかが、重要になってくると思います。
現代の生きる我々には、ある程度職種を選定する自由もありますし、その後どのような人生を歩むかも、大抵の事は自分で決定できます。
自由な時間が欲しいなら、その様に自由になれる時間を保持できる高みを目指し、早いうちにその目標に向かって、今この瞬間の自由を無くし努力することが大切です。
これは、大事な事だと思います。
今だけをみて、楽して、かつ自由も経てなんていうのは、いつまでも続かないと思っています。
今、この瞬間を精一杯頑張って辛い思いをして、将来、自由に使える時間を今までより多く取得する事が、大切だと思います。
そこで、ふと思う事として、人間の本性のうち、最も悲劇的なことは、潜在的にどんな人でも多かれ少なかれ抱える「人生から逃避したくなる」という点ではないでしょうか?
皆さんは、今まで歩んだ人生の中で、ふとした瞬間に、一度でも感じた事ありませんか?
私達は、誰もが水平性の彼方へある「魔法のバラ」を夢見ています。
そのくせ、自分の家の窓の外で、今日も咲き誇るバラの花には見向きもしないくせに。
カナダの有名な作家スティーブンリーコックは、次のように書き記しました。
「人生の進み具合というものは、なんと奇妙なものだろう。
小さな子供は「もっと大きくなったら」というではないか。
だが、どうしたことだ。大きくなった子供は、「大人になったら」というではないか。
そして大人になると、「結婚したら」というではないか。
けれども結婚したら、いったいどうなるか?
考えがころりと変わって、「退職したら」というではないか。
やがて退職が現実のものになると、自分の過ぎし日を思い浮かべる。
そこには木枯らしが吹きすさんでいるようだ。
どういうわけか、全てを取り逃がしてしまった。もはや過ぎ去ってしまったのだ。
そして遅ればせながら、我々は学ぶ。
人生とは生きる事の中、つまりは毎日毎時間の中にあるのだという事を。」
フランスの大哲学者モンテーニュでさえ、この種の過ちを犯したと言います。
「私の生涯は恐ろしい災難に満ち満ち溢れたものに思われたが、大部分は実際に起こらなかった。」
イタリアの有名な哲学者であるダンテも言っていました。
「今日という日をもう二度とめぐってこないという事を」
この事から、この一瞬一瞬に、全てを注いで生きてく事が何よりも重要で、何よりも大切なんだということが推測されます。
重い腰が上がらないのはなぜでしょうか?
やっても無駄だと思うから?
どうせ結果なんてでないだろうと思うから?
周りのみんながやめとけっていうから?
色々悩んでいる事の大半は起こらないかもしれないですよ?
気づいた時には、「ああしておけばよかった・・・」と嘆きたくないですよね?
考えてもどうにもならないものをいつまでも悩んでいるなら、懸命に行動を起こしている内に、違う問題が新たに発生して、そしてひとつ山を乗り越え、成長できるかもしれないですよ?
やってみないと解らないですよ?転んでもまた立ち上がればいいしですし。
今、この状況を打破したいと考えてはいても、なかなか勇気が出ない方に、何かのきっかけになり、何かを感じ取っていただければ幸いです。
自分にこの事を言い聞かせ、一日一日を頑張っていきたいと思っています。
お客様から私への成績表です。
ポチっと押してくれた数が多ければ、それを指針にして活動を行なっていきます。