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なぜ自〇者が減らないのか?いじめ問題について

うーんとですね、この問題については複数の要因があると思っていますが、まず初めにいじめが行われる「環境の違い」について話をしたいと思います。

 

端的に言うと、の方がいじめてられている人助ける人が多かった。

 

クラスの中心人物だったり、先生だったり。

 

 

 

それと、今より暴力的だけど、今ほど陰湿な感じはしなかったように感じますね、ニュースなんかを見ていると。一部、例外はありますが。

 

 

 

学校の先生まで、いじめっ子をかばうという話を聞いたことがあります。

 

私達の時代では、考えられない事ですね。

 

 

 

あとは、先生が体罰を行うケースについて。

 

昔は、先生が言った事を生徒が実践出来ないから、暴力をするのではなく、「悪いこと」をしたから、殴られるんです。

 

 

 

 

例えば、今の部活では体罰が問題に、なっていますよね?

 

もしかすると、生徒の態度の問題もあるかもしれないですけど、ニュースを見ている限り、そうは感じないんですよね…

 

 

 

全てではありませんけど、今は、部活で先生が言った事を生徒が実践できていない「結果」について、怒っているように思うんですけど、昔は違うんです。

 

 

 

「結果ではなく、真剣に取り組んだか?」つまり、その「課題に取り組む姿勢」について問われているんです。

 

確かに、昔は、今と比べ物にならないぐらいに体罰がありましたけど、その分、しっかりと出来たときには、褒めてもらって、今と比べると心が通っていて優しかったんです。

 

 

 

 

かなり強烈な事をこれから言いますが、現実なので、聞いてください。

 

「いじめ」は、なくなりません。

 

それと大人になってもあります。

 

現に、私がいじめられていましたから。

 

ただ、私の場合、多勢無勢でも一人で向かっていくので、それが余計にムカついたんでしょうね。

 

 

 

私は子供の頃に、いじめられていました。

 

俗にいう、クラスの大人しい子っていう感じの印象の少年時代でした。

 

 

 

その当時のいじめは、暴力的ないじめが多かったんですが、ある日を境に、このままだと自〇してしまうと思って、どうせなら歯向かおうと決意をしました。

 

 

勿論、暴力で対抗するんですが、あれほど怖かった喧嘩を毎日やり続けていると、殴られる事にも殴る事にも慣れてくるんですね。

 

何度負けても突っ込んできて、毎日でも殴りに来る私を見て、何が一番変わっていったかというと、周囲の自分への「評価」が変わっていくんです。

 

 

 

そうなると、周囲から「めんどくさい人間」認定されますけど、「いじめ」は、ピタッとされなくなるんですよね。

 

あいつをいじめると、徹底的に仕返しされるから、めんどくさいと思ってね。

 

 

 

つまり、いじめに加担する人も含めて、いじめるきっかけなんて、「気に入らない」から始まるんです。

 

例えば、人種が違う、考え方が違う、服装が違う、匂いが違うなど。

 

 

 

「気に入らないから、いじめる」のは直接的過ぎるので、周囲からも咎められてしまう。

 

だから、その「虐める理由」を探すんです。

 

まあ、これには虐めている人は、必ず言い訳するだろうけど、お前ら、本当の事を言えよ?なあ。

 

 

 

そもそも、いじめをする人間の大半がいう「話し合い」なんてものは、潜在的に、「意地悪な」資質を持った人言い訳に過ぎないんですから。

 

 

イジメる人間は、初めから自分に非があれば、その非を認めるような公正明大な心の持ち主ではなく、「人を支配する」事に意義を感じている人間性ばかりなんだから。

 

 

 

 

「皆と違う事」という事を理由にしてイジメめる事で、「貴方よりも上なんだ。だから、生意気言うな」と、知らしめて、優越感に浸りたいだけなんです。

 

暴力の世界でもそうですし、言論の世界でも一緒なんですよ、これ。

 

 

 

 

そう思うと、大人の世界でも、たくさんのいじめというか、意地悪があるでしょ?

 

大人になると周りからの評価を気にして、「いじめ」と思われる方法をしなくなるのです。

 

つまり、「意地悪」に変わっていくんです。

 

 

 

皆さんの周りを見て下さい。

 

貴方を貶めたり、わざと貴方が辱めを受けるようなことをするいじめっ子が居ませんか?

 

いじめではなく、「意地悪」という形で。

 

 

 

大人になると、知恵がつくので、誤魔化す事が上手くなり、表面化しずらくなります。

 

 

そして、その様な「いじめ」を繰り返していた大人が、やがて結婚し、自分の子供達を教育する過程の中で、

 

自分よりも身体の弱い人を虐めるのは、もちろんの事、人をいじめたりしたらダメだよ。

 

「お年寄り」「目上の人」を大事にしなさい。

 

礼儀正しくしなさい。

 

・友達を「傷つける言葉」には注意して、相手を「思いやる」言葉で接しなさい。

 

・何かしてくれてもらったら、お礼を言いなさい。人と会ったら、自分から挨拶をしなさい。

 

食べ物の提供してくれる農家・漁業関係者・に感謝して、残さずに食べなさい

 

皆がいる場所では騒いだり、人の迷惑を考えないような人間になってはダメだよ。

 

嘘をついたりしてはダメだよ。

 

人の不幸を喜ぶような人間になってはいけないよ。つまり「ざまーみろ」と言うように思ってはいけないという事です。

 

と、言った事を子供達に、教えなくなります

 

 

 

そうして、その子供達は、自分本位な生き方をし始め、いじめっ子の子供いじめをする様になります。

 

 

反面教師にして、まっとうな生き方をするのは、本当に、極少数です。

 

 

 

 

 

そして、昔は10人中2人がいじめをして、傍観者は6人、いじめを止める人が2人。

 

今は、10人中4人がいじめをして、傍観者が5人、いじめを止める人は1人。

 

 

 

昔は、このいじめを止める2人が圧倒的な力を持っていたので、結果として、皆が従うしかないので、表面的には「いじめ」が無くなっていきます。

 

今は、1人がいじめを止めても、多勢に無勢で、今度は止めた人まで、いじめられます。

 

いじめを止める最後の砦である学校の先生が、いじめをしている生徒を、叱ったり出来なくしたのは、その親世代が自分の子供に非があるにも関わらず、クレーム入れたりしたのが原因だからね。

 

 

 

そうして、叱る人がいなくなると、虐めを止める人がいなくなり、いじめが蔓延していきます。

 

年々、この母数が、酷くなっていくのを感じます。

 

 

 

だって、実際にいじめ相談件数36万件もあるんですよ?

 

この異常な件数の多さは、親の教育がちゃんとしていないから、これだけの被害を生んだと言っても過言ではないですよね?

 

 

最大限、強い言葉で非難させてもらえば、

 

お前ら、いったい何を教育しているの?馬鹿じゃねえの?

 

お前らみたいな奴に、子供を育てる資格なんかねえよ。

 

 

 

ガキの頃、自分自身が「苦労して生きてきた」なら、その苦しみを一番理解しているはずのお前らなのに、何故、他人の子供達にも、そういう思いをさせない様、自分の子供に、しっかり教育できない?

 

 

 

そういう奴に限って、自分の子供が虐められる番になったら、学校で騒ぎ立てるよな?

 

お前らみたいな人間が、世の中をおかしくしたんだよ。

 

もしも許される事なら、お前らみたいな人間を、俺が〇してやりたいよ。

 

 

 

虫唾が走るんだよ。

 

ビっと不良をしている訳でも無い。

 

中途半端な不良みたいなお前たちがよ。

 

 

 

とりあえず、冷静になって話すようにしますけど、親が共通認識である道徳を教えないから、こんなひどい結果になる。

 

親自身が、わがままやりたい放題だったから、子供に道徳を教えられないと思われても、仕方ない異常事態ですよね?これ。

 

 

 

いじめられている人に、はっきり言います。

 

「いじめている子供」にも原因がありますが、その子を育てた「親」に、大きな原因があります。

 

 

 

と言うか、親に大きな原因があり、親自身が人として大切な「道徳」なんてものを知らないから、教育が出来ないんだろうね。

 

だから、子供達もいじめる子供になるんだろうね。

 

 

 

 

ここ最近の親に言いたいのは、両親が子供達に教育しないという事は、子供達の世界で学ぶ「道徳」が全てとなり、裁量を子供たちに任せるという事になります。

 

子供達は、大した人生経験もない中で、正しい裁量を下すことが出来ますか?

 

自分達でお金を稼いで食べている訳でもない、誰かに面倒を見てもらわないと生活も出来ないのに。

 

両親達は、それで本当に良い世界が作り出せると思っていますか?

 

 

 

思っているなら、馬鹿だろ?

 

子供は、ある意味素直とも言うけど、裏を返せば、本能に素直なんだよ。

 

殴りたい、虐めたい、こんな事によ。

 

 

 

それを正していくのが教育なんだよ。人間としての道徳を教育してよ。

 

それが無いなら、人間ではなく、ただの動物なんだよ。

 

 

 

話し戻りますけど、例えば、100人の子供達が、両親から道徳と学んでいる中で1人ぐらい道徳を教育されなかった子がいるのであれば、大丈夫かもしれません。

 

しかし、100人中90人両親から道徳を学んでいないのであれば、どう思いますか?

 

 

 

どんな酷い世の中になると思いますか?

 

本能の赴くままに生きる子供達になりますよ。

 

子供を、この世に産んだ一人の人間として、あまりにも無責任すぎませんか?

 

 

 

貴方の子供が、今はいじめられていなくても、いずれ虐められる側になった時、暢気に同じ事をし続けることが出来ますか?

 

 

 

貴方達がやっている事は、人間を育てているんじゃない。

 

日本人でもない。

 

貴方が思っているその感覚は、餌だけを与えればいい「ペット」を育てているんですよ。

 

 

 

つまり、結婚出来ない人は、その人の「人格に何か問題があるのかもしれない」という世間体を気にするばかりで、「貴方の幸せの為にだけ」、子供がいる様に感じるんですよ。

 

それは、本当に意味で、子供を愛している様に感じないんです。

 

 

 

本来、本当に愛しているなら、良い国にして、この子達が、将来希望がある、幸せの世界を作ろうとするでしょう。

 

その為には、互いに尊重し合い、優しい気持ちを育む事を教育の中で重きを置くでしょう。

 

だって、クソみたいな世の中に子供を産む行為は、子供達自身も自分と同じように辛い思いをさせてしまう行為だから。

 

 

 

しかし、現実は、どうですか?

 

結局は、自分事しか考えない子供達を量産して、しわ寄せは、全て虐められやすい子達に全部行くんですよ。

 

 

 

貴方の子供達が虐められない保証はあると思いますか?

 

もしも、いじめられる側になったとしたら?

 

それを恐れているから、自分の子供が虐められない様にする為に、格闘技に通わせているんじゃないですか?

 

 

 

だから思うんですけど、法律上は成人すると子ども自身の行動は、親の責任から子供自身に責任が移行しますが、その子供の土台(何を悪いとして、何を良い事だと感じるか?)を作ってきたのは、まぎれもなく、そのなんですよ。

 

そこへきて、成人したからと言って、子供達が行った悪い行動に対して、親に責任が無いと言ったら、それはないだろう。

 

 

 

なぜなら、善悪の判断の根幹を作ったのは、その親であり、親がしっかりと教育して、監視の目を光らせていれば、止まることが多いから。

 

特に、いざとなったら、暴力も辞さない父親の存在がね。

 

 

 

 

だから法改正して、成人後の犯罪についても、両親が責任を負うようにすればいい。

 

そうなれば、親となる人は、無責任な事が出来ず、形はどうであれ、もっと子供達へ教育に力を注ぐだろう。

 

 

 

仮に、リスクが大きすぎて結婚のハードルが高くなったとしても、それでいいじゃない。

 

シングルマザーの問題も減少して、小作りする事が、とても責任の重い行為だと男も認識するだろうし。

 

 

男も男だけど、女も女なんだよ。

 

子供が出来る行為を、たいして知りもしない不特定多数と簡単に行って、「愛している」なんて言葉の本当の意味も知らないのに、簡単に口に出して、恋愛ごっこみたいなことをしている奴の多い事。

 

 

 

また、話し戻しますけど、無論、この成人後も親に責任を課す精度が出来たとしても、これを悪用する人もいるので、煽ったり、挑発する人にも、なにかしらの重い罰則・責任があるようにすればいい。

 

その代わり、今と比べて何も言えなくなる世の中になるけれどね。

 

けど、虐めが無くなるんだったら、それでもいいんじゃないの?

 

 

 

それでも、「親が道徳を教えないんだったら、法律で、無理やり抑えつけるしかない。」という事を世間に伝えて、問題定義だけでもした方が、少しは考えるきっかけになるんじゃないかな?

 

 

まあこれは、出生率を左右する国力の問題に直結するので、政治家を目指す人は言えない事だろうな。

 

 

 

話を戻すけど、何故、私は暴力を必要悪として容認しているのか?

 

仮に、子供が「いじめたい」という欲求があったとしても、自分の子供が「いじめ」をしていたりしていたら、両親が「引っ張く」ぐらいの事をして、力でねじ伏せられれば、虐めた本人が納得いこうがいくまいが、とりあえず、「また両親に殴られるから、やめておこう」と抑制されます。

 

 

 

本来であれば、いじめる人意地悪をする人心の問題を解決すればいいのかもしれないけど、全てを無くす事のは、難しいです。

 

これは子供には何も落ち度もないけど、何故なら、親になる事そのものに問題がある人(両親自身が未熟な考え方をしている)が親になっているケースがあるから。 

 

 

正直、私達の上の世代でも、同世代でも首をかしげたくなる親が本当に多い。

 

昔なら、絶対に怒られる子育てをしている。

 

 

 

虐めから回避するには、違う土地に行くしかないんだけど、それは根本的な対策になってないです。

 

他の場所で、また、違うイジメっ子が居て、虐められますから。

 

 

 

昔は、学校の先生がいじめを止めてくれた事は、よくありました。

 

いじめる子が聞く耳持たなければ「暴力」で、話して解りそうなら、話して論していました。

 

 

 

互いに、どちらの言い分も「正しい」というのであれば、先生の目の前タイマン張らしてもらいました。

 

 

 

で、途中でやり過ぎないよう先生が止めに入るんです。

 

最後には、先生に言われて、当事者同士が握手をして、それで終わるんです。

 

お互い鼻血出しながらね。今じゃ考えられないですよね。

 

 

 

 

その当時の先生の「やりすぎる暴力」に問題あったかもしれないけど、学校の先生が体罰出来なくなったのは、私達の下の代になってからです。

 

 

 

そして、先生が体罰出来なくなる事で、子供達は大人を怖がることが無くなり権威ある人は認めるけど、そうでもない「一般の大人」には、敬意を示さなくなった。

 

そこから世の中が、少しずつおかしくなっていったのを、私が若い頃から感じています。

 

 

 

 

秩序を取り戻す為には、簡単に言うと、暴力の使い方限度を知っていて、「聞く耳を持たない子達」の悪い事を是正する為なら、暴力は「必要悪」かと。

 

 

 

ただし、ここが一番重要な要件なんだけど、暴力を使う・指導する側に、絶対に正しい倫理観を持ち合わせている事が求められます。

 

倫理観がおかしい人が、暴力を使ったら、それは、ただの暴力であり、余計にいじめを助長するので。

 

 

 

例えば、こう考えて欲しい。

 

この世の中、いじめをすると、いじめをした人暴力でボコボコにするビックリするぐらい強い人達が全国に沢山いて、毎日、見回りパトロール的な事をしていたら、いじめる人、減っていくと思いません?

 

 

 

 

意地悪する人はいるかもしれないけど、いじめ自体は成りを潜めて、相当減るでしょうね。

 

なぜなら、いじめる人の大半は、自分に力がないから集団で一人をいじめるんであって、その程度の根性しかないし、そういう奴に限って、自分がやられる事には、世間の空気をとても敏感に読み取るからね。

 

少なくとも、悪費を身をひそめ、表立って、虐めをする人間は少なくなるので、結果として、虐めに悩む人間は少なくなるでしょう。

 

 

 

 

「いじめている人」や「意地悪な人」のメンタルなんて、そんなもんですよ。

 

戦っても敵わない人の言う事は素直に聞いて、自分より弱い人間には、言い訳付けては「いじめる理由」を探している。これが虐める奴の本質ですよ。

 

こんなやつ、ネット上でも沢山居るでしょ?

 

 

まあ、はっきり言わせてもらえば、マジでダセえな。

 

心の底から、軽蔑しているよ。そういう子供と親を。

 

 

 

 

 

特に今の若い人は、本当に、こういう奴多い。

 

ビックリするぐらい、性格が悪くなっている。

 

外国人ですら、そう言っているから、本当に気の所為じゃないと思うよ。

 

オンラインゲームの中でも、煽ったり虐めたりしているんだって?

 

俺、外国人から言われたもん。今の日本人は、どうしちゃったの?って(笑)

 

 

 

大きな権力を持った人間が、「弱い者いじめ」に目をつぶるなら、「いじめ」は、まん延していきますよね。

 

 

 

それが表の日本社会で見るなら、法を重んじて物事の良し悪しをジャッジをする「警察」であり、裏の不良の世界なら「ヤクザ」になります。

 

 

 

私の祖父の時代やくざは、堅気の人に迷惑を掛けて生きているので、堅気の人にはすすんで道を開けたり偉そうにしない様にしていたそうです。

 

肩で風を切って偉そうにふんぞり返っている事なんて無かったようです。

 

そんな不良にも、不良なりの美学があった時代だったからこそ、私の祖父は今の現状を見て嘆いていましたね。

 

 

 

また、警察官の違いは、何だと思いますか?

 

昔は、今よりも法律違反した人に対しては怒りますが、でも、その違反をした人の理由を聞いて、人としての生き方を諭す事をする人が多かったんです。

 

 

 

今は、法律違反そのものに対して罰したりすることはあっても、何故、その人がそのような違反をしたのか?を考察したり、そして、トラブルの当事者間に対して、人としての生き方を論することが、少なくなったと思います。

 

 

というより、人としての道を論することが出来る人格者がいなくなってしまったのが、原因かもしれません。

 

 

 

特に若い警察官は、本当に、そう思う。

 

口の利き方ぐらい、しっかり勉強した方がいいよ。

 

上の世代がいくら嫌いだろうと、その人達無しでは、貴方は社会にすら出れなかったんだから。

 

 

 

親一人の力で、日本が運営出来ているなんて思わない方がいい。

 

寧ろ、その逆だよ。

 

多くの大人の力によって、君達が大きく成長できたんだから。

 

 

 

 

恥ずかしい話なんですが、包み隠さず言うと、昔、傷害事件を何度か起こして、その時の若い警察官に言われたのが、「暴力はいけないじゃないですか。」って言われたんですけど、そんな事解っているんだよね。

 

 

 

そもそも、意地悪をする奴の心の根底の中には「自分よりも格下だ」と思っている相手に、意地悪を辞めたりするなんて、ほとんど無いんだよね。

 

警察から和解を求める様に諭されている時に、イジメる奴も「相手の言っている内容が納得いくなら」って言うけど、仮に相手が私の言い分を聞いたって、それは自分達の「利益になる話しか」認めないから。

 

例え、私の言っている事が、道義的に、どれだけ正しいとしても、理由を付けては認めないだろうね。

 

 

 

極端な話、私が「万引きはいけないでしょ?」って言ったとして、相手が「なんで万引きはいけないの?」って思っている奴なんかに、俺の話なんて、到底理解出来ないだろうが。

 

入れ墨出して、周りを威圧しているような輩なんだから。

 

 

 

それ何処か、攻撃的に暴力で抑えようとしに来ていて、暴言吐きまくっているなら、そりゃ、自分もいくよね。

 

そもそも、その時点で「話し合い」で、どうにかしたいと思っている相手の態度ではないんだよ。

 

 

 

私自身は平和主義者だから、人生の中で自分から絡んでいった事なんて一度もないけど、虐める奴の大半は、相手の外見見て「俺よりも弱そうだなー」って思っている奴にしか絡まないしね、大した根性ないからね。

 

 

 

また、殴られる人にも、それなりに理由がある(人に暴言吐いて煽っている)場合も、確かにあります。

 

昔は、そういう時に警察官のおっちゃんが「お前もこういった所、いけないだろうが。誰だって怒るぞ、それは。だから、それは正せよ。でも。殴ったお前も悪いからな。」と言って、二人を論したりするんです。

 

 

 

つまり、今はあくまで「仕事」としての警察官への就業の意識が比較的強く、昔は秩序を守る・青少年を教育して正しい道へ導く意識を持って就業している人が少なからず居たんです。

 

これが今と昔の人の仕事に対する意識の違いですね。

 

 

 

何で、暴力を使って、イジメようとするか解りますか?

 

暴力は、相手を屈服させることが簡単なので、味を占めるんです。

 

簡単相手を打ち負かすことが出来て、自分の意見を通す事が出来る。

 

そして、周りに「自分の力」を見せつけることが出来るんです。

 

それによって、周囲が自分の敬意を持つようになるんです。

 

薄っぺらいね。

 

 

 

 

暴力で問題解決することに慣れると、短縮的になって、すぐに、その力を使おうとします。

 

でも、いつかは暴力では、何も生み出せない事に気付くんですけどね。

 

なぜなら、ハートの強い者同士の喧嘩の行きつく所は、必ずどちらかが、〇されてしまうから。

 

だから、虐められる人に生き〇にの緊張感を感じない人間なら、虐める人間は、身の安全が保証がされている様なものなので、虐めを行うんです。

 

 

 

 

はっきり言えば、が口を酸っぱくして教育すれば、大半のいじめが無くなります。

 

私の息子も反抗期を迎えた時に、私は時には殴り、時には人としての生き方を諭したり、何度も何度もしました。

 

食事中、お風呂でも、どこでもね。

 

 

 

 

この様にして、多くの親が道徳を教育するようになると、世論がいじめに対して、激しく弾圧する風潮になり、それが抑止になります。

 

 

 

いじめをする奴は、もしかすると、誰かから注意される(殴られる)かもしれないので、止めておこうとね。

 

 

 

何度も話すけど、いじめている奴を口で言って解らそうなんていうのは、難しいですよ。

 

結局、同じ経験をさせないと、心の痛みを、本当の意味で理解出来ない。

 

 

 

そして、虐めている人間に心の痛みを経験させて、虐めが減少していき、いじめている人を弾圧する人間が増えてくると、助けてくれる人が増えるんです。

 

 

 

ネットの誕生により、多くの人とコミュニケーション取れるようになったけど、多くの人間が「匿名である」ことをいい事に、自分のうっぷんを晴らす場所として使用していた。

 

一人が意地悪な事を言い始めると、また一人増えと、どんどん悪い方向に日本が変わっていく。

 

 

 

人間、楽な方向に行きたがるので、当然の結果とも言える。

 

本来、インターネットは、これの逆を行うんです。

 

 

 

よく、文句言われたり、叩かれたりして、傷ついている人に向かって、「ネットの世界で、これぐらいで傷ついているようなら向かない」っていう人居ますよね?

 

 

 

私は、こう思う。

 

お前、馬鹿なんじゃねえの?

 

向いていないのは、お前みたいに、人を傷つけてばかりいる「人格破綻」した人間達だよ。

 

お前らみたいな人間こそ、ネットから退出しろ。

 

 

 

そもそもに、なんで、悪いことを行っている人間に合わせなきゃいけないんだ?

 

「あの人も悪いことをしているから俺も・・・」って。

 

あの人は悪いことしているかもしれないけど、「俺はしない」だろ?

 

 

 

悪い大人を見て、同じ様に悪い事するなら、お前も一緒じゃねーかよ。

 

 

 

まあ、悪いことをして、〇し合いに発展したとしても、貴方は文句は言えないよ。

 

なぜなら、そうなる様に自分で呼び寄せているのだから。

 

 

それと、親も自分の子供が〇されても文句なんて言わない方がいいよ。

 

それなりの事をしているのだから。

 

自分の子供に非があるにもかかわらず、文句言う馬鹿親多いけどさ。

 

 

ふと海外で思ったのは、海外のいじめも、かなりひどいですけど、助けてくれる「正義感」が強い人が、日本よりも多いと思っています。

 

 

 

特にアメリカ人の良い所は、仲間の為に、命を掛けてくれる人日本よりも多いので、アメリカ人は日本人よりも勇気のある人が多いって事なんですね。

 

 

 

それとは別に、日本は勢い良い時だけ、友達面して、立場がやばくなると、これまで「友達」と言っていたのに、その友人を売ろうとする奴の多い事。

 

まあ、クソみたいな奴だわな。

 

 

 

何故それを言えるかって、目の前で、俗にいう「不良の子」達が、それをやっているのを沢山見てきて、ドン引きしたんですよね…

 

詳細は話せないけど。

 

 

 

何故、自殺者が減らないのか?

 

実質、「いじめを容認する」多くの傍観者の大人や同級生が、誰も助けてくれない、また、助け合いの精神が希薄なった今の世の中では、いつ自分の番が来るか解らない事に希望を見出すことが出来ず、かつ、他人と比べて自分だけが惨めな思いしている事に絶望してしまうんだと思うんです。

 

 

 

もしも、いじめれている時・意地悪されている時に助けてくれる人が何人かいて、その人達が味方をしてくれるなら、世の中捨てたもんじゃないな…って思えて、まだ希望が持てるんです。

 

 

特に日本人は親切な人が多いと言われていますけど、日本の「良い人」と言われる人は、確かに人を虐めないし、優しくもするけど、自分の立場を侵しても、「いじめ」から守ってくれる人が少ないんです。

 

 

 

つまり、本当の意味で正義感溢れる良い人なんではなく、簡単に言えば、臆病なんです。

 

 

 

助けない理由の大半は、世の中に小ズルい大人子供ばかりが蔓延していて、損得勘定ばかりが先行している考えをしているし、仮に虐められている子を助けたとしても、恩をあまり感じず、義理を返そうとしない世の中だから、助けたところで・・・ってなってしまう。

 

 

 

特に思うのが、恩を感じていないってところの様な気がする。

 

助けたとしても、自分が捕まって、被害者弁済も実費でしなければならないし、その上で感謝も、ほとんどされないとすれば…

 

 

別に何かをして欲しいとは思わないけど、せめて身体を張って助けてくれた人が捕まったり、何か壊れたりしたら、金銭的な援助ぐらいするべきなんじゃないの?って思うけどね。

 

それは礼儀としてね。

 

 

 

 

だから、自分の子供に落ち度が全くないのに「いじめ」られているなら、親が懲役覚悟で、そいつらをブッ飛ばしに行けばいいんです。

 

 

ただし、いじめの原因の中には、もしかすると、自分の子供が周囲の友達を傷つけるようなことを知らず知らずに行っている場合もあるので、この辺は必ず事実を子供から聞き出して、そのいじめをする友達の話も冷静に聞く必要がありますよね。

 

 

 

 

警察に頼む選択肢もありますけど、「いじめ」をする人の多くは、力の論理を信仰しています。

 

その為、今度は違う形いじめを行うので、根本的な解決にはならないです。

 

 

 

大人が敵わないほど相手に体力あるなら、包丁持って行けばいい。

 

「大丈夫だよ。周囲の人間、全員敵に回しても、俺が絶対にお前を守るからな。だからお前も戦えよ。やられるなら、一緒にやられようぜ」って言って。

 

虐められている人からすれば、これほど心強い言葉はないでしょ?

 

 

けど、大半の大人には、その覚悟はないでしょ?

 

昔は友達同士でも、こんな事が、少なからずあったと思いますよ。

 

俺の友達が虐められていたから。

 

で、俺も一緒に抵抗したから。

 

 

 

そして、虐めをする心の貧しい子達には、他人と比べて、自分の人生を図るのではなく、自分は自分であり、正しい倫理観を持ち合わせた日本人として人生を育んでいく事が大切だという事を親の教育によって、子供の心に染み渡らせる事が出来れば、惨めな思いは、しづらくなるはずです。

 

 

 

 

 

子供達に何を教えていますか?

 

損とか得とか、そんな話ばっかりを主軸にして話をしていませんか?

 

 

 

最近、平気でウソをつく子が多くなったけど、その教えだと、自分が悪い事をした時、嘘をついて乗り切ろうとする人間になりますよ?

 

 

 

例えば、貴方が年収2000万ぐらい稼げるのが普通という価値観を教えたとします。

 

そうなると、人口の何%がその中に入れますか?

 

つまり、殆どの人間幸せになれないのです。その価値観だと。

 

 

 

そういった教育を受けてきた子供達は、稼げない自分は人として劣っているという劣等感絶えず感じながら生きていかなければなりません。

 

 

 

この様な教育を受けると、子供達は、「劣っている」という事を感じて恥じる様になるので、いつまでも幸せだと感じられない。

 

もしくは、お金を稼ぐ為人を騙したりする。

 

 

 

その様なクソみたいな価値観を教えるのではなく、心の美しい人間にこそ、価値がある事を教えるべきだと思う。

 

心は一生涯に渡って鍛錬すべきであり、その人の容姿や能力には左右されないから。

 

貴方の子供に、「日本に生まれて幸せだ」と感じて欲しいなら、本当にそうだよ。

 

 

 

 

いじめの傍観者も、本当は自分が行っている事が「いけない事」だって事を気付いているはず。

 

今は自分が虐められている訳ではないけれど、いつか自分が「いじめられる」「意地悪される」番が来る、こんな世の中に希望が見出せなくなっていると思うんです。

 

虐められない為に、「自分は虐める側の人間だ」と周囲に思われなくては、自分が虐めれれてしまうかもしれないと。

 

 

 

だからこそ、全ての親が道徳教育を一番大事に考えないと、声を上げたくても上げられない人達が沢山出てきて、虐めが無くならないくんだよ。

 

 

 

 

 

例えば、この問題を放置して、いじめられていた人が、勉強を頑張って、政治家になったとします。

 

その人が、いじめられていた時、みんなは助けてくれなかったのに、どうして、その国の国民の為に働こうと思いますか?

 

 

良い政治家とは、心の根幹に正しい倫理観を持った「正義の味方」でなければなりません。

 

でないと、間違った政策を推し進め、利権の為に国民をミスリードしてしまうでしょう。

 

 

 

外的圧力がいくらあったとしても、両親が、しっかり教育さえすれば、その子供が「いじめ」をしたくても抑制が働き、いじめられている人・社会的弱者を助けようという思いが出てきます。

 

それが国民の大多数の総意になれば、おそらく、昔の日本が復活出来るでしょう。

 

 

 

子供達が大人に対して、普段から礼儀正しく、相手に思いやりの気持ちを持っていれば、自然と周りの大人が助けてくれる事が増えると思います。

 

でも、若い世代が自分本位な事ばかりをしているならば、大人が「身体を張って助けよう」と思わない人が、どんどん増えていくんでしょうね。

 

 

本来は、逆の手順のような気がしますが、ここまで世の中がおかしくなってくると、現実的には難しいので。

 

 

 

また、よく思うんですけど、子供たちに甘い言葉を吐いて、子供達に理解ある言葉を投げかけてきた大人には、だいぶ責任あるんじゃないですか?

 

 

 

子供たちにとっては、自分達に寄り添って理解してくれて、甘い言葉を投げかけてくれる人の方が支持しやすいでしょう。

 

そちらに、子供達が、なびくのも理解出来ます。

 

 

 

その行為が日本社会おかしな方向に持って行っている事を、大人は理解した方が良いですよ。

 

こういう大人って、かなりいますよね。

 

 

 

 

例えば、坂上忍さんの事を叩く人って、結構いますよね?

 

偉そうだとか、何とか。

 

坂上さんは、多少同調圧力的な部分もあったかもしれないけど、至極まっとうな事しか言っているように感じないですし、怒って、真剣に向き合っている数少ない「まともな大人」だと思いますけどね。

 

 

 

それを「偉そう」って何よ?

 

お前が何様なんだよ?って思いますけどね。

 

 

 

文句言っている奴は、つまり、日本の道徳を教えてもらう事自体に文句があるんでしょ?

 

私達は、「年上の言う事なんか、めんどくさいから聞きたくないし、好き勝手自由にやりたいんだ」って言ったら、ただの我儘になるから、そんな風に言っているんでしょ?

 

 

 

日本社会全体が厳しく正す人が多い中で、そのような甘い無責任な言葉を言う人が少数いるなら、何とかなりますが、無責任な言葉を言う人が多くなれば、それが一般論みたいなって、日本人の道徳が劣化していくからね。

 

 

 

もう一度、「いじめの少なかった世界」・「希望が持てる世界に戻したい」なら、教育を改めて見直して、道徳を育み、日本人全体が、礼儀正しくして、お互いを思いやる気持ちを復活させれば、少なからず、今よりは助けようとする人が増えていきます

 

それが徐々に増えていって、怖かったり、めんどくさがったりして注意できなかった人も、少しづつ声を上げてきます。

 

 

 

想像してみて下さい。

 

貴方が困っている時に、周りの人たちが皆、力を合わせて、問題を解決しようと思ってくれている事を。

 

 

 

こんな世界だったら、本当に「日本の為に何かしたい」「良い地域にしたい」と思う人達が増えるんじゃないですか?

 

それこそが、希望が持てる世の中に繋がるんじゃないですか?

 

「力」を正しい事に使おうと思うんじゃないですか?

 

 

 

 

政治家は、所得の問題を気にするけど、所得が増える事は、今、現時点だけ心にゆとりを持たせるだけの話ですし、社会全体の景気が良くなるという事は、物価も上昇するということです。

 

つまり、日本社会が海外製品に全てを依存しているなら異なりますが、実質、自分の取り分は、変わったように見えて、そこまでの変化はしないですよ。

 

 

ただ、景気が上がり続けていく事で、将来が明るく感じて、希望を見出しやすいだけです。

 

 

 

 

 

経済といじめを結びつけるのは、全く無い訳ではないけど、いじめっ子に心のゆとりを持たせるだけの話なので、根本的な問題を解決する方法ではない。

 

ただ、誤魔化しているだけ。

 

 

お金が溢れている世界でも、いじめは、普通にありますからね。

 

 

だから、選挙の票を獲得したいは解るけど、いじめ問題所得問題と結びつけない方がいいし、それは国民に対してミスリードする形になるから止めなさい。

 

「金が無いから、いじめるんだ」って結論に行きつくよ。

 

 

 

そうじゃないだろ?

 

もしそうなら、昔は日本人みんなが貧しかった。

 

なら、全員で、いじめをする世の中なのかよ?

 

余裕がないからそうなる傾向にはあるのは事実だけど、そうじゃないだろ?

 

貧しくても、いじめっ子から守っている人達だって多かったんじゃないの?

 

 

 

 

虐めの本質は、そこではない。

 

「いじめる側」の心の貧しさと、「いじめられる側」の心の貧しさ(虐められる側は、悪い意味ではなく)にある。

 

 

お金が無くとも、虐められていても、みんなが同じように虐められて、お金がないなら、悲しい気持ちになることも、少なくなるし。

 

昔を思い出してみてよ。

 

貧乏で、おなか空かせていたけど、同じ境遇の友達と遊んでいるだけで楽しかったじゃない。

 

 

 

 

「死にたくなる」本質も、そこではない。

 

「他人と比べて、自分が置かれている境遇が違う・劣等感を感じて惨めになる。」

 

「誰も助けてくれないから、自分自身で問題解決の糸口を見出せなくなっている」

 

「救いのない世の中で、次は自分の番かもしれない。良い事ではないと解っていても、悪い事に迎合しないといけないジレンマを抱えている」事に、悲観するから。

 

 

つまり、虐められている人間が、小さな嫌がらせを、やられ続けていると、最初は虐める人間が1人だけだったのが、2人へと変わっていく。

 

その様子を見て、周囲も面白がり、助けるどころか、虐めに参加をして、そして、虐められている人間を見下してくる。

 

 

 

虐められている本人は、そんな事には気付いているし、その事により、更に、心に大きな傷を抱える事になる。

 

 

 

虐めてくる人間と、周囲の人間に裏切られた事で、絶望感が大きくなり、誰にも相談できず、毎日が憂鬱になり、一人で悩みを抱えていく時間が多くなればなるほど、その問題が頭から離れる事が出来ない。

 

思いつめていけば、当然、鬱になり、〇にたくもなる。

 

 

 

 

傍観者は、今は虐められていなくとも、「悪い事に迎合しなければいけない空気感」の中では、真っすぐ素直に生きたいと願っても、自分が虐められることが怖いので、良心との葛藤の中で生きていくので、結果憂鬱な毎日を送るようになる。

 

希望なんてあるかい?こんな世の中に。

 

 

 

彼や彼女らのコミュニティーは、小さい学校生活の中が全てであり、その世界で生きられなければ、「人生終わった」と感じてしまうだろう。

 

少ない人生経験しかないなら、そうなるのは当然だろう?

 

 

いじめ・意地悪〇にたくなる全ての根源だよ。

 

 

 

虐められた子は、その過去の経験から、また虐められるのを恐れ、行動規範が狭まる。

 

 

 

そうなれば、自分らしく生きたいと願っていても、心は委縮してしまう。

 

委縮すれば、周りが当たり前に出来る事も、その子にとっては、とても困難な作業になる。

 

 

 

それでも、心が折れるまで戦い続けると、自分では、もっと戦わなければいけないと思っていたとしても、戦えない自分がいる。

 

本当に心が疲れてしまって、抵抗できなくなってしまうって事があるんだよ。

 

 

今、いじめられてなくても、いつ自分がいじめられる番になるのか、皆、恐れながら、人の顔色を見て、生きている

 

こんな息苦しい世の中なんだよ。

 

 

 

だから自分の子供にも言う。

 

「心が折られるぐらいに何かされるなら、逃げてもいいし、そいつを殴ってもいい。あとは俺が何とかするから心配するな。お前が生まれてきた意味は、俺が心の底から、そう望んだから。俺にとって、お前のいない人生なんて意味が無い。だから、何かあったら絶対に相談して欲しい。大事になる前に」と。

 

 

 

私は、よその家庭と比べて、厳しい躾をしているけど、愛してもいる。

 

「愛している」から、「厳しく」育てている。

 

その子が、これからの人生で、辛い事にも耐えられ、強いからこそ、弱者に「やさしい人間」で居られるように。

 

 

 

もしも、全員が「いじめられている」ならば、みんなで力を合わせて、立ち向かう事だってできるはず。

 

皆が「貧乏」なら、普通の事だって、笑い飛ばせるはず。

 

人と比べて、「それが普通の事」と劣等感を感じないで居れるからね。

 

 

 

 

世の中の人が全て優しい人達だけなら、新しい環境に行くことにも臆することもなく飛び込めるし、転職も転校だって、何の不安もなくなる

 

 

でも、現実は、一部とはいえ、意地悪い人間達に何をされるか解らないから、不安になって引き籠ったりするんでしょ?

 

そして、生活するのに必要なお金を稼げなくなるので、追い込まれていく。

 

 

 

 

最近の多くの大人は、綺麗な絵空事ばかり並べている。

 

自分自身が「正しい人間」だと思われたいからか、知らんけど。

 

しかも、何処かで聞きかじったような言葉をアホみたいに並べてね。

 

 

 

そして、どんな事があっても、「暴力はいけない・先に手を出した方が負け」とばかり言っている。

 

それは、自分自身が暴力が苦手で、それをもっともらしい言葉でごまかしている臆病者だから。

 

 

 

違うだろ。

 

手を出させるぐらいに「挑発する事」にも問題があるんだよ。

 

そういう事言う奴に限って、暴力をしないのを良い事に、相手の自尊心を徹底的に傷つける言葉相手を攻撃している事実

 

 

あのね、本当の「良い人間」とは、自分がどうなろうと身体を掛けて、不正に立ち向かえる人間だけが、本当の意味での「良い人」なんだよ。

 

 

 

ここ最近では、間違った正義感で、少しでも悪いことをした人をフルボッコにする人が多いけど、人の争い事に首を突っ込むなら、相手に対しても敬意を持って接しなければいけないよ。

 

「どうされたんですか?もしよろしければ私も理由を伺ってもいいですか?もしかすると、少し冷静になれるかもしれませんし。」と。

 

 

「おい、お前、止めろや」なんて、寧ろ、怒っている人間に対して、火に油を注ぐ行為で、止めに入っているのか、喧嘩売っているのか解らないよな。

 

こんな言い方なら。

 

 

 

本当に正義感で争い事を納めたいと考えているなら、自分がどういう扱いを受けたとしても良いと考えて、下手に出るべきなんじゃないの?

 

だって、本当に争いを納めたいと思って、わざわざ首、突っ込んだなら、争いが収まれば、それでいいじゃねえかよ。

 

 

 

それとも、女の前で、カッコつけたい為に首を突っ込んだのか?

 

Youtubeに上げて、賞賛を得たいのか?

 

そういうのを偽善っていうんだよ。

 

 

 

怒っている相手が正しい場合だって、あるんだからな。

 

ちゃんと聞かないと解らないんだよ。

 

 

 

だから、やらない善よりやる偽善なんて言葉は、良い言葉だって思わないと、何度も過去に話している。

 

ケースバイケースだろ?って。

 

こんな事を言っている大人の言う事なんて聞かなくていいからな。

 

 

 

そんな事言っている本人が薄っぺらい人間性で、どこかで聞きかじった言葉を、得意になって話している場合が、かなり多いから。

 

実際にそういう事言う先輩いたけど、マジで、どうしようもない人間だったんだよ。

 

 

 

 

間違った正義感は、相手を傷つけるから、止めろや。

 

どうせ、止めた人間の倫理観でしか、その人を裁かないんだから。

 

若い世代の倫理観が正しい訳ではないからな。

 

 

 

 

 

話し戻すけど、人間はね、少しだけでも良いから、希望があるから、生きていけるんですよね。

 

 

 

絶望の中で生きるという事は、屍のように生きているのか、自分で命を絶つのか、通り魔になるか、これしかない選択肢が無くなりますからね。

 

 

 

 

貴方は、どちらが良いですか?

 

今よりも厳しくて暴力もあって、目上に対する礼儀作法が厳しく、自由に振舞えない。

 

ただし、いじめがあれば助けてくれる人が今より多かった昔

 

 

 

昔よりも比較的自由に発言出来て、礼儀作法も厳しくなく、でも陰湿になって、いじめられていても助けてくれる人が少ない現代と。

 

 

 

昔はね、若い人が目上の人に敬意を持って接していたので、年上の人達は、年の候で豊富な経験があるから、若い人を助けていた。

 

 

 

例えば、子供が泣いているのをあやすお母さんは、周囲の人に子供の声で迷惑が掛からないように気を使って、人のいない場所で子供をあやしていたから、周りも「お母さん大変だね。もしよかったら、少し面倒みようか?」って言って、優しく接してくれていたんだよ。

 

それが近年、自分勝手にふるまう人が増えてしまったので、昔に比べると、助ける人が少ない冷たい社会になってしまった。

 

日本人全般が好き勝手やっていたら、優しい気持ちで接してあげようなんて、心が育まなくなるのも理解出来るよ。

 

 

 

 

今回は身もふたもない話になってしまったけど、安心して下さい。

 

大人になってもいじめはあるけれど、彼らのいなし方貴方自身に力が付くので、今貴方が思い描いている「虐め」と、かなり変わると思いますよ。

 

 

 

つまり、仲間も出来て、自分自身の力も上がるので、対抗できるって事ですよ。

 

 

 

現時点では、自分の世界だけでしか判断できないから、仲間なんて出来ないと思っているかもしれないけど、外に働きに出ると嫌なことも沢山あるが、「同じ環境で苦楽を共にしている人と過ごすことで、同じ目的意識を持った人と巡り会うので、楽しいぞ。」と、元風俗店経営者のおっちゃんは考えているよ。

 

 

 

それと、今の常識や、今もてはやされている事は、40年前なら、「見習ってはいけない」大人の代名詞だからね。

 

これは、大人の事だけではなく、「大人」から「子供」全ての世代がやっている事について、言っているからね。

 

 

 

無論、の方が、マナーが良くなっている部分もありますよ。

 

タン唾・立小便の問題やたばこのポイ捨て等。

 

 

 

でも、相手を思いやる気持ちについては、圧倒的今の方が悪くなっている。

 

 

 

教育者である、親世代の大人ですら、思いやることが出来ない人が多くなっているから、相手が傷つくこと理解しているにも関わらず、平気で相手が傷つく言葉を口に出す。

 

そんな大人がいれば、子供達だって、同じ様になる。

 

それを助長しているのが、今のインターネット

 

 

 

 

 

 

子供達にちゃんとした事を教育しない・出来ない大人が増えたから、虐められやすい子供達に、そのしわ寄せが回る。

 

 

 

こういう意見を言うと、必ず「生意気だな・ムカつくな。」っていう人居るけど、俺は何を言われようと関係ないね。

 

事実だから。

 

誰に何と言われても、いつまでも戦うよ。

 

 

事実を直視しない「大人達」「子供達」にね。

 

 

 

 

 

 

虐められている人に言いたい。

 

こんなおっさんが、今でも世の中の空気にあらがって、未だに戦っているんだから、君達も「人生」を戦おうぜ。一緒に。

 

 

どうせ、周りから嫌われているんだったら、失うものなんてないだろ?

 

周りがどうかなんて、関係ねーよ

 

俺なんて、未だに世の中の不条理に対して、リアルに戦っているよ。

 

 

 

 

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この前に、リアルに殴り合いになって、殴り過ぎて、右手の甲の骨が折れているし。

 

自分で骨を真っすぐにしてから病院行ったら、「骨、折れてますね」って言われたから、間違いない(笑)

 

でも、喧嘩なんだから、骨の一本や二本ぐらいは、想定内の損害だよね。

 

 

 

今の大人が「優しい」というか、「喧嘩も出来ない」って思っている若い人多いかもしれないけど、それは「守るもの」があるから、あえて「我慢している」だけだからね。

 

我々世代や先輩方世代の大半の大人は、喧嘩「出来ない」んではなく、「しない」事を選んでいるだけ。

 

 

 

時々、私みたいにカッとなって殴りかかるような大人もいるからね。

 

仮に負けたら、次は車で跳ね飛ばしに行くからね。

 

本気だったら、自分の人生投げてでも復讐しに行くからね。しつこいよ、おじさん達は(笑)

 

 

ガキの頃、先輩達に、散々そうやって教育されたから。

 

だから、命の取り合いになるから、やたらめったら喧嘩はしないの。

 

一つしかない命だから、家族の為に、その命を使いたいから、やらないって事。

 

だから、家族になんかあったら、その時は覚悟しろよって事。

 

 

 

 

 

 

最近よく思うのが、自分よりも喧嘩の強い人には、露骨にペコペコするのに、弱い人間には徹底的に難癖付けて、ふっかける奴

 

つまり弱い者いじめが蔓延しているって事。

 

弱い者いじめなんてするなよ、みっともない。

 

 

 

 

いいかい、よく聞いてくれよ。

 

「弱い奴」に限って、喧嘩ふっかけまくって、自分の自尊心を保とうとするけど、喧嘩なんてものは「相手が強いか?どうか」は関係ないんだよ。

 

自分の中で絶対に道義的に間違ってないと思いがあって、正しい事をしていると思うから、その意地を通す為に「戦う」んだよ。

 

 

 

戦う時に、「勝つか?負けるか?」は関係ないんだよ。

 

なぜなら、命がある限り、必ず復讐しに行けばいいだけの話だからね。

 

 

 

仮に〇んだにしても、自分で納得してその行為を行った結果なんだから良いじゃねーか。

 

先にあの世に行って、そいつがそっちに行ったら、また仕返しすればいいんだから。

 

 

 

喧嘩は格闘技ではないんだよ。

 

格闘技みたいに誰かが止めてくれるわけではないんだよ。

 

だから、その一回に思いを載せてやるんだよ。

 

 

 

無論、「喧嘩をしろ」と言っている訳ではないんだ。

 

寧ろ、極力、避けなければいけない。

 

 

 

 

そこに自分が信じている絶対の正義があるからこそ、命を掛けて守るんだよ。

 

あとは家族の為にね。

 

 

 

 

だから、若い世代の人達みたいに、普段から粋がったりする必要なんて無いんだよ。

 

「いざ」という時にだけ、前に出れれば。

 

 

 

だから、普段は礼儀正しくして、誰に対しても優しく、親切に生きる。

 

いざとなれば「戦う覚悟」をする。

 

 

 

 

そういうのを男らしいって言うんじゃないかな?

 

カッコいい男って言うのは、外見ではなく、その内面で決まるんじゃないのかな。

 

 

 

君達は、どう生きたいんだ?

 

カッコいい男なのか?

 

それとも意地悪で、自分さえ良ければ良いという「小ずるい大人」なのか?

 

 

 

 

私が上の世代に対して、極力殴ったりしないのは、何でか解るかい?

 

先輩なんかが敷いたレールを良くも悪くも使わせてくれて、日本で生活出来ているんだよ。

 

それに対する一定の「敬意」を持っているんだよ。

 

 

 

そして、これは人によるけど、基本的に自分の方が体力がある場合が多いんだ。

 

この事を言うのは、とても忍びないんだけど、つまり有利だから、「弱い者いじめ」にみたいになるんだよ。

 

 

どうせやるなら、若くて元気な子達の方が、よっぽど体力もあって、強いだろ?

 

 

 

それなら、弱い者いじめにならないだろ?

 

どういう人間になりたい?それを意識すれば、生き方が変わるよ。

 

 

 

 

君達の方が若いんだから、いくらでも俺よりも、不条理に対して戦えるはずだよ。

 

意地の悪い・嘘をつく・冷たい大人にはなるなよ。

 

なったら、その時点で君も同じ穴の狢だからな。

 

 

 

 

もう最後にするけど、君達は、どんな夢を持っている?

 

夢は希望が持てるぐらいにしか、心が疲弊していない人間だけが持てるものだよ。

 

 

 

夢が持てない君達でも、これなら目標が見出せるかもしれない。

 

「どんな人間になりたい?」なら、何をするべきか見えてくるんじゃない?

 

 

 

一人一人が、その意味を持って生まれてきたとされている。

 

だとしたら、「何のに為に生まれたのか?」これを考えればいいんじゃない?

 

 

 

辛い経験を、同じような境遇で苦しんでいる後輩達に話せる事は、君にしかできないだろう。

 

それを教える為に、生まれてきたのかもしれない。

 

それが君に与えられた使命だよ。

 

 

 

つまり、教育者になり、いじめを撲滅する事も、一つの使命かもしれないよ。

 

 

 

うちは、子供達に「道徳しか」教えていない。

 

もしも他の事で聞きたいことがあれば、それには答えるし、真剣に向き合う

 

勉強はしたくなければ、しなくてもいい、運動が苦手でもいい。

 

 

 

その代わり、勉強しない事のデメリットは話すけど、それを踏まえで子供達が選んだ人生を尊重する。

 

 

あとは本当に困った時に、自分の力で乗り越えさせるために、あえで見守る

 

命にかかわること以外はね。

 

 

 

 

お陰様で、妻も子供達も優しい心をもって、いつも楽しそうに生きている。

 

お父さんは、ここぞの時に子供達に体を掛けて向き合うウザがられるライオンのような存在。

 

普段は、ゴロゴロしている。でもないか…(笑)

 

でも、家事を手伝って、それぐらいで良い。

 

子供達にウザがられ、好かれなくとも、正しい道を歩んでいれば、それでいい。

 

 

 

お子さんが虐められている親御さんに言いたいんだけど、自分の子供が被害にあって、少しは道徳を考えるきっかけになったんじゃないですか?

 

自分の子供達へだけではなく、他人の子供達へのね。

 

もうそろそろ、自分自身でも発信して、世間に解いてみてはいかがですか?

 

それとも、このまま放置し続けますか?

 

 

 

自分の子供が、これ以上被害にあっても、それでもだんまりしますか?

 

そろそろ、戦った方がいいんじゃないですか?

 

子供達の未来の為に。

 

 

 

それに、親が世の中、全員敵に回しても、戦う気持ちがなくて、どうするんだよ?

 

社会的に制裁を受けたとして、それでも子供が生き残ってくれれば、それでいいじゃんか?

 

結婚するという事は、子供や妻の為に、命を掛ける。って事だろ?

 

たとえ自分が〇んだって、守れたなら、それでいいじゃないか。

 

 

 

その覚悟を以て、結婚を選んだんだろ?

 

まさか、軽い気持ち結婚したんじゃないだろうね?

 

だとしたら、相手にも子供失礼だよ。

 

 

 

「愛している」って言葉を軽はずみに言う人多いけど、「愛している」なんて言葉は、自分は、どうなったとしても、相手が幸せでさえいてくれたら、それで良いを体現するような言葉だからね。

 

 

 

そして、その「愛している人」結婚するという事は、どういうことか理解に容易いんじゃないですか?

 

 

 

私は結婚生活を公正にする為に、自分から別れを切り出さないけど、妻が俺を嫌いになったら、いつでも別れると伝えていて、別れた場合の生活は、今と変わらない生活し続けられるように、全額支給、家も渡すと約束しています。

 

ただし、再婚しない事が前提ですけど。

 

 

 

離婚しても生活が確保されていれば、気兼ねなく、私に文句言えるでしょ?

 

約束は絶対に守るよ。たとえ自分自身がホームレスになっても。

 

 

 

貴方がだったら、その覚悟を見せてよ。

 

不良やっていた人間なら、私の言っている事、分かるでしょ?

 

不良なら不良らしく、大人になったら大人なりに、ビッとして生きて下さいね。

 

半端な根性ぶら下げてないで。

 

 

まあ、子供達もゆっくり考えてみてね。